ブルリフSのサービス終了が発表されました。
だからというわけではないけれど、詩についてつらつらと考えていたことを書いておきたいと思いました。
といっても燦の詩ではなく、ブルーリフレクション澪の詩についてです。
ブルリフRの5話は
友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのは、そう――。
というモノローグで始まります。
この伏せられた部分について考えてみようというのがこのエントリの趣旨です。
詩のモノローグは続く6話で
友情も愛も、つながりも幻想です。信じられるのは、ただ……。
と、セリフとなり、内容も変化します。
友情と愛のほかに「つながり」も幻想だと断じ、けれど信じられるものについては伏せられています。
これにどういった意図があるのでしょうか。
詩の伏せた言葉は17話で明らかになります。
詩は二度目の暴走を美弦に固定化される際、
友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのはそう……痛みだけ。
と、心の声で語りました。
伏せられている言葉とは『痛みだけ』だとわかります。
ブルリフRはループする世界観なので、17話の詩は俗にいう「1周目」であり、時系列としては5話よりも以前の話になります。つまり、詩はもともと友情や愛は幻想にすぎず、痛みしか信じられない少女でした。
それが、5話の段階では「痛み」を伏せるに至ったという流れになっています。
では、なぜ「痛み」を伏せてしまったのでしょうか。
詩と仁菜の事情が語られる4話から6話は、陽桜莉と瑠夏のつながりが語られる1話から3話と対になっていて、つながることができた陽桜莉たちに対して、つながりが解けてしまった詩と仁菜が描かれます。
4話で詩は陽桜莉と瑠夏のつながりによる共鳴ビームを受けて倒れますが、なぜ詩はわざわざこのビームを正面から受けたのでしょうか。仁菜は弾けたのだから、当然詩にも同じことができたはずです。
なので、詩には受けざるを得ない理由があったと考えるのが妥当でしょう。
5話で詩はクラスに馴染めない女の子として描かれます。
表面上ニコニコとしていても後ろ手に組んだ腕に爪が食い込んでいて、上っ面だけの付き合いに苦しんでいます。痛みのない希釈された人間関係は詩にとって緩やかに死んでいるのと同じです。通り魔に刺されたことで生を実感してしまい、その後は痛みをストレスから逃げる手段として用いるようになります。逃避行動としての自傷行為です。
詩が仁菜と繋がれているのは、過去の痛みによる記憶での共鳴のおかげです。
つまり、詩は痛みによってついに仁菜とつながることができていたのです。
そんな詩なのですから、陽桜莉と瑠夏による仲良し共鳴ビームなど到底認めるわけにはいかなかったのでしょう。その結果、思いの剣が折れてしまい、詩は自信を喪失しました。
それが5話冒頭の
友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのは、そう――。
なのでしょう。そして、仁菜とだけでなく、由紀姫とも痛みによるつながりに失敗した詩は
6話で
友情も愛も、つながりも幻想です。信じられるのは、ただ……。
と変化したのでしょう。
つまり、17話の過去で
友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのはそう……痛みだけ。
だった詩は、5話で
友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのは、そう――。(痛みによるつながりだけ)
となり、6話では
友情も愛も、つながりも幻想です。信じられるのは、ただ……。(痛みだけ)
となってしまった、ということになります。
痛みだけを生きている証と信じていた詩は、痛みですら誰ともつながることができず、友情も愛もつながりも失って痛みだけが残されました。
けれど、その痛みを信じていると胸を張って言うことができません。
もう一度自分が生きていることを感じられるまでは痛みを信じることができないのでしょうし、痛みに縋り付いている状態です。
これが、詩が痛みを求める理由です。
詩は、自分が自分らしく生きている状態で誰かと繋がることを渇望していて、それは必ずしも痛みではない、というより人と人が衝突すれば必ず痛みを伴うのですから、詩の本当に求めるものはそれなのでしょう。