花と羊

ブルーリフレクション澪、二次創作短文です。

美弦がひじきを作る話です。 

 

  夕暮れの聖イネス学園、その教会に併設された調理場には出汁の香りが立ちこめていた。
 美弦はワンピース型の制服の上から割烹着を羽織っていて、布巾を敷いたザルの上へ丁寧に出汁をこぼしていく。それから布巾の角をつまんで、菜箸で抑えて絞って完成。ザルをシンクに置いて流れるようにフライパンを火にかけ、ひじきと人参を入れて手早く混ぜ合わせる。
 副菜を作る慣れた作業は美弦の身体を入浴やドライヤーがけのようにゆるく拘束する。だから心は裏腹に自由を得て、美弦の意識は過去へと回遊しはじめる。

 モモの作るものはいつだって味が濃い。疲れに効くし日持ちが良いとは言っていたけれど、一人だと食べきれないからそんなことを気にしてしまうことが私にはわかった。出汁を使えば塩を抑えられると知って試しに作った煮物がモモには好評で、それ以来、出汁は料理の定番になった。そうして私たちは食べ物をお互いに持ち寄って、あれこれ言いながら一緒に食べていたっけ。

 ひじきのじゅうじゅうと焼ける音で美弦は我に返った。フライパンをさっと返して油を回し、出汁を足して煮込みに入る。

 鉄分の補給にひじきがいいと知ったのは、陽桜莉が中学生になるくらいの頃だったかな。陽桜莉は塩の効いたはっきりした味が好き。私が台所に立つとそわそわしはじめるのが背中越しにでもわかった。おいしそう、お腹すいたと、陽桜莉は手持ち無沙汰に独り言をつぶやく。だから私は陽桜莉の仕事を用意しておいてあげるのだ。
「ねえ、もうすぐできるからお皿出して?」
──陽桜莉、と続けそうになって美弦は息を飲んだ。やってしまった。気付くと背後には人の気配があった。
「……わかりました、お姉様。お皿ですね」
 調理場の入り口付近から美弦の所作を観察していた仁菜が答えた。
 私どんな声を出したっけ、きっと甘い声だった、油断したなあ……。
 内心で焦る美弦に仁菜は、
「お姉様、どうぞ」
 いつもと変わらない口調でそう言った。いつでもあなたを見ています、美弦にはそう聞こえた。仁菜の声は陽桜莉の形をしていた。
「ありがとう山田さん。もう大丈夫よ」
 美弦が冷たい声で告げると、いつでも呼んで下さい、仁菜は真面目な顔でそう言って、表情とは裏腹にととんとスキップのような足取りで調理場から出て行った。
 陽桜莉も同じようにスキップしていたなと、美弦は陽桜莉の記憶と重ねそうになり、慌ててその考えを頭から締め出した。
 ごめんね陽桜莉。
 仁菜の選んだ皿は口の広い真っ白な大皿で、ひじきを盛り付けるにはあまりにも不似合いなものだった。

 あの子は何も知らない。ひじきに合うお皿も、私が欲しいものも。あの子はこのお皿と同じように真っ白だ。
 私はあの子を騙している。陽桜莉によく似た、子供のようなあの子を──。

 フライパンから水分がすべて蒸発して焦げた匂いが立ちのぼった。美弦は焦げて黒ずんだ人参をつまんで、罪悪感と一緒にシンクに投げ捨てた。フライパンの上で黒いひじきに人参が差し色となって映える。
「これでよし」
 美弦は仁菜の出した皿を棚に戻し、煮物用の器を手に取った。

 

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タイトルは星の王子さまのエピソードが元ネタ。花を羊が食べてしまったと考えて生きるか、食べていないと信じて生きるかで人生は変わるという部分にインスパイアを受けました。現実とコモンを行ったり来たりするうちに境目がわからなくなるような描写を入れつつ、黒いひじきを負の感情、人参の差し色を思いの輝きになぞらえたつもりになって書きました。