ブルリフ澪 1〜6話の感想

ブルリフRが好きなので、BGVとして流していたりするんですが、序盤の1〜3話と4〜6話が対比になっていることに気付いて、その対比が見事だったので記録しておくことにしました。

1.

キャラクターというのは大抵テーマに沿って作られていて、相棒となるキャラクターと対比することでテーマが浮き出るような作りになっているのが常です。ブルリフRも例に漏れずテーマに沿ったキャラクターになっていて、1〜3話では平原陽桜莉と羽成瑠夏がその役割を担っています。

1話では、瑠夏がいかに孤立しているのかが、まず描かれます。瑠夏は親元を離れて一人で入寮しますが、転校が多いせいか友達作りに積極的ではありません。瑠夏はマイペースなうえ他人の気持ちを慮るのが苦手なのです。

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これは瑠夏が月ノ宮に着いたときの画像です。キャリーバッグを床に置いて腕時計を見ながら誰かを待っている人、妻と子に見送られる父、家族で写真を撮る一家の三者が、それぞれ駅の柱で区切られています。それに対して瑠夏は遠く、さらに二本の木で閉じ込められていて、繋がりのある三者に背を向けて進んでいきます。この一枚で瑠夏の抱えている問題が端的に表現されています。

そんな瑠夏と対比となる陽桜莉はというと、父はなく、母は蒸発し、姉も姿を消しています。そして陽桜莉は寮に追い出された格好になっています。学校では友人と会話しているように見えますが、明るく取り繕っているだけで、心を開いているようには見えません。

このように、まったく違うように見える二人でも、抱えている孤独は似たものであることが対比によって浮かんできます。

陽桜莉と瑠夏は名前でも対になっていて、平原と羽は大地と空、暖色的な太陽と桜に対して寒色的な青を意味する瑠。桜の春に対して夏。それに、おそらく太陽に対して瑠璃色の空をイメージしてもいるのでしょう。

序盤にはもう一人、テーマを表す重要なキャラクターである白樺都が登場します。都は『本当の自分を見て欲しい』という思いを抱えていて、これがブルリフRのテーマだということになります。

余談ですが、このテーマは『本当の自分のままではいられない』けれど『ありのままの自分でありたい』と変化していきます。このテーマはそのまま見ているものへのメッセージにもなっています。

本来、掠ることすらなさそうな陽桜莉と瑠夏でしたが、二人が繋がることができたのは、共鳴によってお互いの心を覗いたからです。外から見ただけではわからない内面を知ったから友達になれたということを意味していて、陽桜莉と瑠夏が共鳴で何を見たのか、内容は断片的であったり、一切描かれなかったりと、その具体的な内容は視聴者には伏せられています。今回、陽桜莉と瑠夏はたまたま相手の心の内を覗いてしまいましたが、それだけ心の中は大切なプライベート空間だと訴えているのでしょう。

2.

4〜6話では敵役として登場する駒川詩と山田仁菜が対比されます。この二人は暴力の被害者であり、やはり孤立しています。二人を繋ぐわかりやすいキーアイテムはナイフで、刺す者と刺される者という皮肉な関係であることが暗示されています。

詩は人と繋がるために自分を殺しすぎて何も感じなくなった少女でした。対する仁菜には戸籍がなく、社会から抹殺されている少女です。二人に共通するものですが、おそらく「自分がない」ということになるのだと思います。詩は繋がるために自分を偽っていたし、生を実感したのも他人からの暴力によってでした。仁菜は母親以外の他者との関わりもないのですから自己が形成されていないでしょう。ですから、仁菜と呼べるものは母親とワイドショーで見たものの模倣に過ぎません。

テーマを表す登場人物を見ていくと、エマユマコンビはテニスのラリーを会話になぞらえていて、過去の傷と向き合い、打ち勝って相手に思いを伝えることの大切さを説いています。

由紀姫こと高岡由紀子は嘘をついて人と繋がっている少女であり、もう一人の詩です。なので、詩が由紀姫に向けた言葉は、すべて自分にも向いていることになります。つまり詩は、自分の中に生まれる感情を頭でだけ知っている=本当は知らないということになるのでしょう。だから唯一知っている「痛み」によって人と、つまり由紀姫と繋がろうとしたのだと考えることができます。けれど、詩の友達作りは失敗に終わりました。

補足ですが、このときの詩は思いの剣が折れてしまい、非常に不安定な状態にあったのだと思われます。詩の「人は痛みでしか繋がれない」という思いは、陽桜莉と瑠夏という性質の異なる二者の繋がりによる共鳴ビームによって否定されてしまったからです。自信を失った詩は、自分は間違っていないとでもいうように、他者を傷つけ、生を実感しようとします。けれど、それすら都によって否定されてしまうのです。仁菜にもバディを解消されてしまいますし、こうして詩はますます自己の中に閉じこもるようになってしまうのです。

望は仁菜にとって友人であり母親でもある少女です。一見すると寮で同居している陽桜莉と瑠夏の関係に似ていますが、こちらの二人には共鳴がないため、お互いの心を知ることができませんでした。

これら登場人物から浮かんでくるテーマは「友達」になるのでしょう。詩も仁菜も友達がいません。まったく異なる二人に見えますが、陽桜莉と瑠夏の関係のように、似たような共通点があることがわかります。詩も仁菜もまた孤立しているのです。けれど二人は友達になれませんでした。

3.

1〜3話と4〜6話はよく似た構造になっていて、対比することができます。描かれたのは友達になれた二人となれなかった二人で、その違いは本当の自分を相手に伝えることができたかどうかにあります。

相手を叩いて感情的な反応を引き出すことしか出来ない詩のコミュニケーション方法は未熟だとしか言いようがありません。常に誰か一人としか関係を作れず、その相手に盲目的になる仁菜もまた未熟としか言えません。この二人に本当に必要なのは友達でした。

詩と仁菜の関係には続きがあります。寮での対決時、都にフライパンで引っぱたかれた例のシーンです。このとき仁菜は詩に向き合うと言いましたが、詩の剣を受けることはせずに、すべて避けてしまいます。ここで仁菜にぶつけられた詩の思いとは被害者の思いそのものです。被害者が加害者に求めるものとして、一般的には謝罪よりもまず反省ではないでしょうか。

仁菜が詩に向き合うためには、まず自分の問題と向き合う必要がありました。仁菜の問題というのは、母を失ったこと、望はもういないということ、美弦は手に入らないということです。他人は暴力によって手に入れる=繋がるものではないというメッセージなのでしょう。

そして詩に必要だったのはおそらく怒りなのかなと思います。仁菜は性質や武器からもわかる通り怒りを体現していて、詩は仁菜の怒りに触れようとしています。詩の学生生活はきっと自分を殺すことが多かったのでしょう。傷付けられることもあったのでしょうが、それでも自分を殺すうち、心が痛みを感じなくなっていったのではないのでしょうか、紫乃のように。

詩と仁菜が友達になるには、まだまだ時間が必要なのでしょうね。

余談.

陽桜莉は姉である美弦に対しての執着が、陽桜莉の抱える問題の本質であることが、物語の終盤で明らかになります。それを踏まえると、1話ラストシーンの、手を空に掲げる陽桜莉の表情の味わいが深まります。

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陽桜莉にとっての空というのは天の川であり、隔絶された織姫と彦星に自分と美弦を投影しています。指輪の三角形は天の川にかかる大三角を模していて、そこに手を述べる陽桜莉はまるで姉に手を伸ばしているようにも見えます。

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ですが、このときの陽桜莉の表情はどこかぼんやりとしています。その理由としては、指輪がそもそも美弦のものであり、都を瞬間的に助けたのも美弦の行動をトレースしたからだと考えられます。本来の陽桜莉はそんな単純な性格ではないことが後に語られますし、危険が迫った時、考える前に体が動いてしまうのは美弦なのではないかと思います。つまり、このとき陽桜莉自身の思いなどなく、すべて美弦を真似ているに過ぎず、空に手を伸ばすことでさえ美弦の意志であるということなのでしょう。だから、オルゴールに残された青い指輪を陽桜莉は『自分に託されたものだ』と受け取ってしまったのでしょう。青い指輪は実際は残したのではなく、美弦が捨てたものでした。

 

姉の美弦ですが、モモが「一人で抱え込む、けっこうなバカ」と評するように、選択がわかりやすく極端です。一周目、陽桜莉を外に出したことが失敗だと思ったのか、二周目は自分が出て行きます。一周目助けられなかった詩と仁菜を仲間に引き込んで最悪の事態を避けました。ここでの美弦のバカなところは、詩や仁菜のようにそばにいてあげることが助けになるとわかっているのに、何故か陽桜莉を一人にすると判断してしまうところにあるのでしょう。実際離れた方がいいとは思いますが、何事にも準備が必要ですし、一人で抱え込んだせいで陽桜莉がフラグメントを自壊させてしまったことを踏まえると、テーマが出ていて実にいいと思います。

 

このときのフラグメントを自壊させた陽桜莉ですが、おそらくで死んでますよね。陽桜莉が死んだ瞬間に原種戦開始によって時間が停止し、陽桜莉の死が固定されているというのは残酷です。陽桜莉のためにリフレクターになったのに、勝っても負けても陽桜莉は死ぬのですから、そりゃあ戦意も喪失するってもんですよ。
閑話休題

4.

5話では冒頭に、
「友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのはそう……」
という詩のモノローグが挿入されます。

このモノローグは6話後半で、紫乃に語る形をとり
「私が本心からニーナちゃんとつながってると思ってたんです?」
「友情も愛も、つながりも幻想です。信じられるのはただ……」
というように変化しています。

詩は仁菜とも由紀姫とも繋がることができなかったことで、『つながりも幻想』だと思うに至ってしまったわけです。詩は笑っていますが、言葉だけを見ると、なんだかやけっぱちにも思えます。

詩の「友情や愛――」のモノローグは17話でも登場していて、こちらは俗にいう一周目のものになっています。
「友情や愛、そんなものは幻想です。この世で信じられるのはそう……痛みだけ」
といって、「痛みを信じている」と言い切っています。一周目の詩は暴走を繰り返していたということなので、暴走するたび何度も自分を傷つけて慰めることを繰り返すうち、痛みしか信じられなくなっていったのでしょう。

詩は「そう……」の後に続く「痛みだけ」という言葉を濁していますが、ではなぜ二周目の詩は言葉を濁したのでしょうか。

一周目と二周目の大きな違いといえば、リフレクターになったことですので、それが影響しているのでしょう。リフレクターの詩がしたことは、他人のフラグメントつまり「思い」を知ったことと、仁菜と共鳴したことです。どちらも他人の心の痛みに触れています。

物語終盤では紫乃と加乃の対比によって心と体の痛みが描かれます。紫乃の心が傷つくと加乃の体に傷が表れますが、これは心と体が虐待によってバラバラに離れてしまっていることのメタファーになっています。

詩はつながりを持てないことによる心の傷を表現するように、自傷行為を繰り返しています。紫乃と加乃の関係に詩を対置することで、「心と体の傷の違い」というテーマが浮き上がり、「見えないはずの心の傷を可視化している」ことがわかります。

人間関係に何も感じられず他人の痛みがわからないから自分の痛みに興味が湧いた詩でしたが、仁菜と共鳴し、他者のフラグメントに触れることで他人の痛みを知ることができました。見えないもの見ることができた結果、『痛みだけを信じる』と言えなくなったと考えることができそうです。

同じ痛みを持つ繋がりを仁菜に感じていた詩でしたが、仁菜もまた未熟で、美弦に母親を求め、美弦だけに依存してしまっていたため二人は繋がることができませんでした。繰り返しになりますが、詩と仁菜が友達になるにはまだまだ道のりは遠いようです。

おわり.

ブルリフRは毒親が話題にされがちですが、構造を俯瞰すると舞台装置に過ぎず、焦点はあくまでキャラクターたちの思いに当てられています。紫乃が対峙したものは残酷な母ではなく、優生思想や自己責任論をそれと知らず簡単に受け入れてしまう、世間からの無責任な関心でした。罪と罰をつい毒親に求めてしまいがちな我々視聴者にとって、痛烈な皮肉を突きつけられている形になっていますね。

いやあ、ブルリフRは本当におもしろいアニメです。