ブルーリフレクション澪 21話の感想

話数単位で打ち出される小テーマが今回は瑠夏の視点に立つとすっきりして見えると思うので、瑠夏に寄り添った視点で感想を書きました。

今回の小テーマは、「自分の思いを殺さずに、大切にすることが大事」ということで、原作ブルリフでいう麻央の思い「私は私を“殺”さない」ということになるのかと思います。

 

瑠夏

21話はまずコンビニの店員と瑠夏とのやり取りで始まります。

瑠夏は1743円の買い物をし2000円払いますがお釣りとして500円玉が返されます。これに対し瑠夏は間違いを指摘しますが、店員の少女とは目が合わず、いらっしゃいませと別人として扱われてしまいます。そこで瑠夏は会話を諦めて500円玉を受け取り、正しい金額である257円を引いた243円を返却します。

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この店員はいうまでもなくコミュニケーションの下手くそだった以前の瑠夏の姿です。けれど今や瑠夏は変わりましたし、ちゃんとお釣りを返すこともできるのです。

今回の話の小テーマは「共鳴するために必要なこと」なので、共鳴できていないチームはコモン突入に失敗します。小テーマは「どうすれば陽桜莉は(モモは、亜未琉は)目覚めるのか」を軸にして、瑠夏の変化を通して描かれていきます。

瑠夏ははじめ美弦に対して線を引いていますし、美弦もその線を踏み越えることはしません。これが共鳴失敗の原因であり、陽桜莉が目覚めない理由です。

親のいない陽桜莉の寝起きの寂しさを瑠夏を信じて任せることで、瑠夏は美弦の陽桜莉に対する深い思いを知ります。都の態度は瑠夏と美弦の関係の縮図になっていて、同時に美弦は陽桜莉の新しい世界を知りました。こうして陽桜莉は目覚めました。

目覚めた陽桜莉もまたモモと並ぶ美弦を見て、美弦の新しい世界を知ります。美弦の「楽しい」を増やしたい陽桜莉に対して、陽桜莉の「楽しい」を増やすために枕投げを提案する瑠夏に繋がっていきます。

このときの枕に突っ伏す仁菜ですが、都との言い合いで陽桜莉にマウントを取っていたかつての自分が重なっているのか、美弦の楽しいを増やすために宿敵陽桜莉と仲良く枕投げをすることを嫌々許容するための心の準備をしているのかは、物語の含みに入るのでしょう。

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勇気を出して枕投げを提案した瑠夏は中央の線を越えて、文字通り境界を越えたのだ。

美弦

美弦は自分と陽桜莉とは別の人間であると認めました。その上で自分は陽桜莉と一緒にいたいと願うのです。美弦は自分を殺すのではなく、自分の思いとして陽桜莉と一緒に居たいと願うのです。美弦が自分の思いを大切にすることでモモは目覚めました

自分の思いを大切にすることで眠っている人(フラグメント)は目覚めて、自分の思いを殺さずに相手に伝えることで共鳴につながっていく。これが今回描かれている小テーマです。

世界観的にも都から「コモンの扉が開いているから思いが戻せた」旨のフォローも入っていて隙がありません。

瑠夏

涼楓が戻ってくると、瑠夏は線を越えて近づきます。枕投げで陽桜莉に向かって線を越えたのと同じ描写です。瑠夏は陽桜莉と涼楓が大好きなのです。

f:id:solt_ses:20210906025009j:plainですが瑠夏は亜未琉を失った涼楓に対してなんの力にもなれません。このときの瑠夏は線の向こう側にはす向かいで並び、言葉は影から放たれます。瑠夏は亜未琉を失った涼楓との境界を越えることができないのです。

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けれど瑠夏は、モモを取り戻した美弦が涼楓を元気付けるのを目の当たりにします。涼楓自身の思いを大切にすれば亜未琉は目覚めるのです。

美弦は陽桜莉だけでなく涼楓の力にもなったのです。瑠夏にとって美弦は信頼するに足る人物であることが確認されました。こうして瑠夏は美弦に謝り、思いを共にする仲間となったのです。

都と仁菜

都と仁菜は今回コンビとして描かれていました。

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この二人は今回、同じ枠の中に描かれている。

陽桜莉を美弦と取り合う都の姿は、仁菜にとってかつて陽桜莉やモモに対抗心を燃やしていた自分と重なったでしょう。
ぬか漬けをぬかさんと名付けた瑠夏に「ダッセェ」と言った仁菜の言葉は、3話でスマホケースの星を削ろうとした瑠夏に「はぁ!?削るとかありえないんですけど!あんたたち小学生男子かなんかなの!?」と言った都を思い出させます。

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自分が嫌になって箸を置く都に、リフレクターになるなんて自分には無理と言った瑠夏の姿が重ねられる。

f:id:solt_ses:20210906025017j:plain枕に顔を埋める仁菜も3話の都と重なっていますので、都のこのときのセリフを全文引用します。

わたしのため……。見つけてくれたんだ……。
私、ここにいていいんだ……。
はっ! あ、あんまり見ないで。絶対変な顔してる。こんなの初めてだから。
……ありがと。だけどセンスは微妙ね。

さて、仁菜はこのときどんな気持ちだったのでしょうね。

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陽桜莉に枕をぶつけたシーンと、陽桜莉との戦闘で腹を蹴ったシーン。食らいボイスを繋ぎにして、思いをぶつける仁菜の変化が描かれています。

美弦の思い

美弦の思いとは何か。それは1周目と変わらず、紫乃を助けたいというもの。このときの都と瑠夏はキャラだけでなく謝罪の声まで被ってしまいます。

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10話での都と瑠夏のワンシーン

突っかかったことに対して二人は謝りますが、仁菜は逆にモモへと突っかかります。バランスがいい。

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違う靴を履き違うコップを使い、違う化粧品を愛用し違う制服を着ている少女たち。異なる性質をもつ少女たちがひとつに響き合ったという描写をこのような絵で端的に表現していました。

ブルリフジョーク

今回のブルリフジョークはぐっすりバカとあんぽんたんの役割です。
初見ではぐっすりバカの語感に惑わされてあんぽんたんを流しますよね。当然ですよ、何せモモが復活したのですから。
けれど構成の巧みさに警戒して、再見時あんぽんたんにも深い意味があるのかもしれないとガードを上げて確認してみると、

あんぽん‐たん【安本丹】
間が抜けていて愚かなこと。また、そういう人。あほう。ばか。薬の名「反魂丹 (はんごんたん) 」になぞらえた語。

 

はんごん‐たん【反魂丹】 
中国で、死者をよみがえらせる能力をもつとされた霊薬。

やはりちゃんと理由がありやがるんですよ。モモを間抜けと言いつつも同時に反魂を祝い、その後のおかえりなさいのセリフに綺麗に繋がるんですよ。怒りながら喜んでいる都の性格を的確に表していると感じます。

さらにあんぽんたんと反魂丹は韻でも繋がっています。おかしくて仕方ありません。

これに似た味わいのブルリフジョークをもうひとつ。

ぬか床をかき混ぜる動きは、胸に手を入れてフラグメントに触れる動きによく似ているというのはもはや周知の事実かと思われますが、フラグメントとぬか漬けは実は韻で繋がっているんですよ。パラレルをアパレルと聞き間違えたモモが前フリになっていたんですねえ。

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白井日菜子と白樺都

韻つながりで、白井日菜子と白樺都は似た音を持っていて、

しらい ひなこ
しらかばみやこ

都の名前はおそらく日菜子を想起させる意図で付けられたんじゃないのかなと思います。声も似ていますし。

どうだろう、幻覚だろうか?

最深

ブルリフRは、似た関係性を参照したり誰かの過ちが誰かの歩く先を照らす光になっていたりなど、澪=航跡の図式が至る所に見られる作品だと思います。

けれど最深は、

道ゆく誰かの足を照らし未来担う灯火となるの
“だけど”私の孤独私のものだ
消し去ってしまいたい傷や嘘も飲み込んで今ここ照らし出せば、深い闇も怖くないから

と歌っています。

これは、

私の孤独はいつかお前の足元を照らす光になるのかもしれないけれど、
私の孤独は私のものだから、お前には渡さずに自分で飲み込んで自分の足元を照らすんだ。
ああこれで深い闇も怖くない。

という内容なんですよね。

ブルリフRのテーマとはややズレている感じがしますが、毒があっておもしろいし、この毒をエンディングでうまく編集したなと感心したりもしました。

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月を狙う詩の指は都を狙うそれと似ています。月=弦なので美弦を狙っていることを示唆しているのでしょう。

ひときわ目を引く詩の謎ダンスですが、

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母なる証明のダンスとよく似ていると感じました。

このダンスは、どうしようもなく運命に抗えない弱者である母が、隠し事を抱いて生きていくことを決めた、そんな意味が込められているのだと思います。


www.youtube.com

 

おもしろいと思ったのは、詩が振り返って画面のこちら側に視線を投げかけてくるシーンです。

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舞台と観客の間には第四の壁がありますが、それを詩が飛び越えてきました。詩は作中で誰とも繋がりを持てなかった少女です。

第四の壁を越えるというのは、現実と虚構を混ぜるような意味合いがあり、作品世界ではコモンが現実を侵食しつつあります。

この重なりによって、あたかも詩が観客である私たちに手を伸ばして、

友情も愛も、繋がりも幻想です。信じられるのはただ――

と、触れてくるような気がしませんか。