けものフレンズ2 感想 (コンセプト)

けものフレンズ2はキュルルがパークの一員としての自覚と責任感を持つに至るまでの成長物語だ。その過程では動物との適切な関係について描かれ、失われたものでも再び蘇る世界観によって新しい朝が訪れる。
構造はわかったが、このアニメはどんな話だったのだろうか。コンセプトを一言でいい表すとしたらどのような言葉がふさわしいだろうか。

 

 

人間を追い出す物語

物語はキュルルの誕生からスタートする。母胎を捨て、柵を越え、溝を越え、列車に乗ってパークの外にあるはずの「おうち」を目指す。だが、はじめからそんなものはない。
キュルルは自分はけものじゃないと線を引く。パークの仲間ではないと同時に、人間の悪いところを代表して引き受ける存在だということだ。
これ以降、「おうち」がないキュルルを追い立てるかのように、人間がパークにいないほうが良い理由が展開されていく。

レッサーパンダは人間によって名前を奪われ格付けがなされて卑屈になってしまった。その呪いを解いたのは彼女の友達であるジャイアントパンダだ。
海獣たちは人間に調教されたために遊びの楽しさを忘れて仕事のようにこなしている。二人は賞賛されることで遊び本来のおもしろさを思い出し、人間の呪いから解放された。
人間がいないことでいびつになった彼女たちの問題は解決した。彼女たちにもはや人間は必要ではない。

レールから外れた世界ではアニマルガールたちが新しい社会を形成し、新たな人類として生活を営んでいる。
一方でジャングルでは人間がいるせいで争いが発生する。「人の力」というのは飼育・調教を指していて動物との信頼関係が前提になっているが、この時代のパークでは裏目に出てしまう。
かばんはキュルルに「塀の中にあるおうち」を紹介する。かばんは塀の中に閉じこもっているのだ。キュルルは思い描いたおうちとは「全然違う」といって断る。形が違うという意味と、帰りたい場所ではないことのダブルミーニングだ。

続いて7話では別れをいう間も無く走り去ってしまい、8話ではキュルルだけ拉致されてしまう。キュルルは強制的に別れさせられるのだ。
イエイヌはいってしまえばペットだが、そんなペットにもキュルルは振られてしまう。イエイヌにとってキュルルは過去の幻想の代替品でしかない。

クライマックスでは極め付けに、キュルルの描いた絵はセルリアンの発生源となってしまう。迷惑では済まない有害な存在だと露呈してしまうのだ。そして一人で溝を越えさせられ、海上に追い出されてしまう。

けものフレンズ2はヒーローズジャーニーをなぞっているが、肝心なところにキュルルは関わることができないまま、パークの一番奥地から出入り口のゲートへと向かって行く。
人間は迷惑な存在なのでいないほうが良いと思わせる展開は、キュルルに自発的に出ていくことを促しているかのようだ。

なぜ人間は追い出されるのか

けものフレンズの世界というのは動物が女の子の姿になってしまうというキャッチーなコンセプトを持っているかのように見える。

だが実際はどうだろう。

動物の楽園とは人間のいない世界を指す。そしてジャパリパークというのは人間の存在しない孤島だ。
ここに「女性だけの世界」を重ねると、あらゆるロールから解き放たれた楽園という象徴性を帯び、差別による不平等から解放された多様性のある世界というテーマが浮かんでくる。

そんなけものフレンズの世界に、ビーストという存在で問題提起がされる。
ビーストは喋れず、表情もないため意思の疎通ができず、さらに乱暴者だ。そのためビーストはアニマルガールたちから嫌がられている。

差別のない世界だったはずなのに、同じ動物であるはずのアニマルガールたちは、より動物に近い存在のビーストを持て余してしまう。
パークにとってビーストはマイノリティだ。そして人間もまたマイノリティなのだ。

ここで話は12話の海上に戻る。
途中で現れるゴクラクは、いってしまえば大地の神の使いである双子の黒い巫女で、イレギュラーな存在であるキュルルの観察者だ。

キュルルはここが僕の縄張りだと宣言することもできずに流されるばかりで、パークの一員であるという自覚も責任感も持てない。
そんなキュルルにとってビーストは啓示のような存在だ。
降って湧いたビーストに対してキュルルはどうアクションするのか。逃げるのか、後をついていくのか、僕が連れて行くと自分の意志を見せるのか。

こうして仮住まいの象徴であるホテルは崩れてなくなり、パークはキュルルに再び帽子を与えて滞在を許可したという結びになっている。

物語は大団円を迎えるが、かといってビーストは相変わらず喋らず馴れ合わない乱暴者のままだし、アニマルガールたちの態度も変わらないし、キュルルのスケッチブックはセルリアンを生み出す悩みの種だ。
多様性は画一的ではないのだ。

船型セルリアンや海底火山はパークにたくさんある災害のひとつに過ぎず、キュルルの自己実現のための踏み台にはされない。キュルルにとっての乗り越えるべき敵はセルリアンや火山などではなく、人の悪影響と向き合い、それでも好きだと突っぱねることだったのだ。

キュルルは私たち人間の代表であり、これらが作り手からのメッセージになっている。

キュルルにはもう一つ大事なメッセージが潜んでいる。
キュルルはセルリアンが少年の心をコピーして人間を再現したものだが、セルリアン(サンドスター)は女性しか再現できない。なのでキュルルは少年の心を持つ女性ということになる。
けれど、こちらのメッセージは前面に押し出されてはいないので、世界観の含みとして受け取るに留めておこう。

結局どういう話だったのか

けものフレンズ2は全12話の大半を使って人がいないほうがいい理由を描いているのだから、やはり「パークから人を追い出す話」と受け取るのが妥当だ。
とはいえパークに住むためのハードルは意外と低いので、そこまでイデオロギーで凝り固まった世界ではないのかなという印象だ。

ということでコンセプトは

人間が滅びて動物園の動物たちが支配する島に生まれた子供が人の業を学ばされながらやんわりと追い出されていく話

で、どうだろう。

新しい人類となったアニマルガールの暮らす世界では人間は必要のない存在だ。もはや万物の霊長ではない。その世界に人間が住まわせてもらうには資格が必要なのだ。

 

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