けものフレンズ2 感想 (おうちにおかえり)

けものフレンズ2の9話はとにかく様々な形に解釈の割れている話だ。
犬の傷つく話に対するバイアスや制作の交代劇などを踏まえても、あまりにも解釈のベクトルがまとまっていないように思う。
私には滑稽で物悲しい喜劇に映っているが、これと似た感想をあまり見かけないことだし、感想を書いておくと有意義なのかなと思う。

この記事に書いてあることは
・動物に調教される人間
・キュルルを振ったイエイヌ
・イエイヌの救い
主にこの3点です。

 

まずはじめに、9話の時点でキュルルは既におうち探しを諦めている。展開から逆算するとそうなる。途中で何度か挟まる表情などが決定的だ。
キュルルはサーバルカラカルさえ良ければイエイヌと一緒に住むこともやぶさかではない、そう思っているはずだ。
そういう甘い考えを持っていると知って見るとまた違った味わいになるだろう。

9話には3話と5話に連なる小テーマがある。
3話は芸とご褒美の関係が逆転し、人間が「ご褒美をあげる」芸をさせられた構図になっている。
5話ではゴリラの提案でみんなの前で出し物を披露させられる。つまり猿回しならぬゴリラ回されの構図だ。
小テーマとは、動物と人間との関係の逆転だ。

そして9話だが、イエイヌはキュルルに「お家を探し続けろ」と指示して、キュルルが何かを言おうとするのを遮り、続けざまにキュルルに「おうちにおかえり」と言わせることで別れることに成功している。
実態はイエイヌがキュルルに「ハウス」と命じているのだ。

9話には、まず第一の軸として、人間に命令する動物という逆転した世界のおかしみがある。
ご丁寧に「犬にフリスビーの投げ方を教わる人間」という前フリまで付いているのだ。

次にイエイヌはなぜ身を引いたのかだが、これは彼女自身も言っている「仲間を失う気持ちはよく知っていたのに、キュルルを引き離すような真似をしてしまった」ことに気付いたからだ。
人間はもう戻って来ないしどこにもいないことを彼女は知っている。だから人間を探す依頼を出したのだ。つまりイエイヌは「戻ってくるまで留守番を続けるのが使命」だと嘘をついた。その真実をキュルルに告げなかったのは優しさだ。イエイヌはキュルルと絆を作らないと決めた。
他に人間がいない以上、イエイヌにとって絆の証である芸をすることは二度とない。
イエイヌの最後の芸、これが第二の軸だ。

「ハウス」には懲罰的な意味合いが含まれているが、これはキュルルたちを引き離すような真似をしたことだけでなく、かつての大切な人たちを忘れて絆を裏切るような真似をしたことへの罰でもあるのだろう。

イエイヌは屋根のある住宅に住み、道具を使いこなし、お茶を淹れて飲み、報酬と引き換えに仕事を依頼をすることができ、目的のために手段を選び、結果が出るまでじっくりと待つ。作中でもっとも人間に近い存在だ。
別れを決めた彼女からは遊んでいる時のような無邪気さは影を潜め、高い知性を持つひとりの女性としてキュルルの前に立っている。これが彼女の本来の姿だ。
彼女は自分の過ちを認め、自分の意志で別れを決断した。別れの言葉をキュルルに言わせることで双方の合意としたのだ。
物語の最後に彼女は金庫の扉を開いて過去を懐かしむ。
過去は永遠に失われた悲しいものではなく、大好きな人たちと暮らしていた楽しい記憶なのだと思い出した。イエイヌは救われたのだ。
こうしてイエイヌは人間という存在から本当の意味で解放された。
これが第三の軸だ。イエイヌもまた万物の霊長となったというわけだ。

私にとって9話とはこのように見えている。
優れた物語というのはひとつの主題にとらわれず様々な含みを持つというが、けものフレンズ2、特に9話は傑出している。
全体を通して、TVアニメでこんな表現ができるのかという学びと感動があった。紛れもなく傑作だ。

f:id:solt_ses:20210604193843j:plain